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Ah, but I was so much older then, I'm younger than that now.
つぶやいてます...
生きてま〜す(^^
ここんところ、自転車にも乗れてないし、書きたいことはあれど、1エントリーするほどのこともないイロイロがたまってきたので、ガス抜きに Twitter でつぶやいてます。そいえば、さとひろくんの「ブツブツブログ」って名前はまさに Twitter だね。
ワタシハモドロイド?
悪人を倒せば世界が平和になるという映画は作らない
私は宮崎アニメの熱心なファンとは決して言えないが、このインタビュー記事には大いに心を動かされた。先日のNHKの特番よりもずっと...
悪人を倒せば世界が平和になるという映画は作らない――宮崎駿監督、映画哲学を語る(前編)
「世界は美しいものなんだな」と感じてくれる映画を作りたい――宮崎駿監督、映画哲学を語る(後編)
外国人記者たちの「自分の聞きたいことをなんとしてでも聞き出したい」という気持ちがこういう高いレベルのレスポンスを引き出したのだろう。日本のマスコミにままみられる、馴れ合い、予定調和、大物に対する遠慮といった記者クラブ的な悪弊環境からは決して生まれてこないだろう。
目に見えない"プロトコル"
「暴走老人! 」を読んだ。
"プロトコル"という言葉がある。20年ほど前、とある語学会社の末席にいたことがあるのだが、そこで初めて知った言葉で、主に国際会議などの催し物・交流の場におけるルールや慣習を指す概念だ。知らない国の者同士が初めて出会う場で、最低限お互いに失礼のないように振る舞うための心づもりといった意味も含まれていて、特に会議運営の関係者や通訳者などにも事前に徹底して周知される重要なことだった。今では、通信上の約束事というまた別の意味でIT用語にもなっているので、ご存知の方も多いだろう。
この本は、「暴走老人! 」という刺激的なタイトルにあるように、昨今なぜか増えつつあるキレる老人たちを糾弾する本ではない。外国文化の影響や、ITの進化など様々な要因により、社会環境が急変しつつあり、今や現代人はかなり切迫した状況に置かれているということを丹念に解き明かしていく。
特に、時間や空間感覚の変化により人間が疎外されていくあたりの論考は説得力があり、いちいちうなずくことばかりだった。
一昔前とは様変わりしてしまった現代社会の時間・空間の流れを止めることなくうまく泳いでいくには、暗黙の約束事を察知し、粗相なく行動しなければならなくなってしまった。
いわば、今や世の中、目に見えない"プロトコル"にがんじがらめになりつつあるのだな、と思った。そして、そのかつて一般人には縁遠かった"プロトコル"が日常の身の回りに降りて来て偏在している状況に対応できずにイライラを募らせ、爆発しやすいのがいわゆる老人の世代なのだと。「KY」なんて嫌な言葉が世に蔓延するのも、ひとつの典型的な例だろう。
センセーショナル過ぎるタイトルが少し残念だが、このタイトルでなければこんなに話題にはならなかったかも知れないと思うと複雑だ。
体当たりの演技
「体当たりの演技」って言うよね? 昔は売れなくなった元アイドルとかが、映画の中でキワドいシーンに出る、思い切って脱いじゃうみたいな、ボクら昭和30年代生まれには、ちょっと退廃的というかもう逃げ場がないゾみたいな、けっこうギリギリの語感があったように思うけど、最近ではちょっと当たり方も弱くなってきたのか、こんな感じで若いうちから、ちょっとハワイまで体当たりに行ってくるわってな感じで、けっこうお手軽な雰囲気だ(「体当たりの演技」で検索したらたまたま上位に来てただけで、美咲嬢に他意はありません...)。海外旅行が当たり前になったのと体当たりが軽くなったのには関係があるのか? なんてね... この言葉、最初に使ったのはいったい誰なんだろう。ちなみに、和英辞典を引くと、「彼は体当たりの演技をした|He threw himself completely into the performance.」なんていう例文が出てくる。なるほど、"身を投げ出す"わけですな。日本語の"捨て身"のちょっと刹那的な語感よりは少しポジティブな印象だけど、もしかしたら最初は"throw myself completely"の訳語だったかも知れんですな〜、相撲の国ならではの。
日本語の話というと、吉田戦車「日本語を使う日々」はおもしろいよ。氏の漫画同様いつもニヤニヤしながら読んでいる。忘れた頃に更新されるといったのんびりしたペースだけど、それもまたいい。バックナンバーもチェックしてみてね。


